メタキャストCVの日々雑感

6月 28 2011
実際に、原発事故への対応や放射線量基準の策定を議論する人々の口吻がしばしば、異なる意見の持ち主に対して攻撃的なものになることの裏には、まさしくこの“原理的に100%「自然」な正解を見出しえず、すべては人為的に選定された基準に則った「安全」にすぎない”という居心地の悪い状況から、どうにかして「免罪」されたいという欲求があるように感じられます。それはある意味で、人間ならざる神がこの世のすべてに絶対的な道徳基準を定めてくれていた(と観念されてきた)前近代への郷愁であり、これが非西洋圏に根強く存在する徳治主義の政治文化と結合すると、「自然」を聖化するある種の神政政治を産み落とすかもしれません。

「人間」であり続けるために:原発危機のいま読みなおすリスク社会論 : アゴラ - ライブドアブログ

「自然が一番!」(自然を尊重する人間が常に正しい)という主張も一種の宗教であり阿片的陶酔に至る道ということか。

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