Googleのボットの大群は、まるで埃まみれの熱心な考古学者みたいにWebを這い回って、デジタル文化の遺物を探し集める。でも、彼らが見つけるものは化石–ページとかリンクという形をした化石–だ。それらは、ライターや寄稿者やときには気まぐれなエンドユーザが書き残したもの、自分たちの痕跡をインターネットの誰もいない割れ目や暗黒の奥地に投げ入れたものだ。Googleは、そういう遺物を分析している。しかも、そんなコンテンツを作った者に関するリアルな知識を欠き、さらに検索をする者がどんな人間かも知らないまま。
(中略)
Facebookのデータでは、顧客が関心を持っているものを’推測’できるのではなくて、実際に彼/彼女が何に関心を持っているかを、具体的に知ることができる。そしてこの重要な違いがFacebookに、検索におけるものすごく大きなアドバンテージを与える(今後検索に進出した場合)。
Googleは、匿名のクェリ文字列に対してもっともふさわしいと’思われる’Webページを全宇宙から選び出すが、Facebookは、具体的な人間について、’その人にとっていちばんふさわしい’これまた具体的特定的ページを、すでに知っている。
しかも、さらに強力なのは、Facebookは個人や集団の行動パターンを知っているので、ユーザが具体的に関心を表明していないものごとについても、その好みを予想できる。
つまりFacebookが駆使できる科学は、Amazonがユーザの過去の買い物やブラウズ履歴から次の買い物を’おすすめ’するやり方を、大きく一般化した手法だ。しかもAmazonがもっぱら個人の行動データを集めるだけなのに対して、Facebookは個人の友だちや仲間の情報も知っている。この人は誰と仲良しか、を知っているのだ。しかもその、友だちや仲間も、本物の本人性のある実物の人間なのだ。
Googleの秀でた点がWeb上の全コンテンツにIDを振り当ててそれらの内容のインデックス化とページ同士の関連性表現にあったとすると、Facebookのこれからのチャレンジは全ての人間にIDを付与した上で各自の行動と人間関係の様態変化をどこまで時系列に把握&予測できるかということかと。ただし現時点のFacebookがGoogle以上の”The Data Mining Company”を目指してるかというとまだそんな雰囲気は感じられなくて、どっちかというと写真共有をはじめとした”ユーザー体験の向上”でもってユーザー数&接触時間を拡大しつつAPI公開による外部パートナーの巻き込みでログ流入量を増やすことに注力してるんだろうな。そいでIPOした後でGoogle卒業生を含む優秀なサイエンティストを世界中から引き抜けば良いのだから。
ちょっと妄想が入るけど、現在アラフォーの私が80歳で死ぬ頃には、私の人生の歩みの後半50%のサマリーがFacebook経由でダウンロード可能になり、私の交友関係や世の中に与えた影響と共に、葬列参加者から超リアルに偲ばれるようなことになるのでしょうかね。。Sourの「映し鏡」を観ながらそんなことを考えた日曜の午後でした。